最終曲:ケット・シーとインダストリアルゴールデンエイジ

 ケット・シーというものをご存知だろうか?古きアイルランドの伝説に現れるこの猫の魔物は、悪戯好きの割に義理堅く、与えられた恩に必ず報いると言われている。三日月の輝く冬の夜。私は覆面を被った男たちに攫われて教会の塔の天辺に閉じ込められた。真っ暗な部屋、天窓から差し込む月明かりの中に音もなく降り立ったあなたは、もしかすると本当にケット・シーなのかもしれない。 「助けに来たにゃ。ご主人様」 「そんにゃ所に寝っ転がってると風邪引いちゃうのにゃ」  私はきっと情けない顔をしていたのだろう。あなたはすぐに駆け寄って抱きしめてくれた。 「ほら、体もこんなに冷えてるにゃ」  私もまるで何かを確かめるように強く抱きしめた。ネコメイドの形が、温かさが、そして匂いがわかる。涙を拭ってゆっくりと瞼を開けば、金色の瞳が柔らかく微笑んでいた。 「にゃはは。ちょっと痛いにゃん」 「仕方ないでしょ…もう二度と会えないと思ってたんだから…」 「そんにゃ寂しいこと言わないで欲しいにゃ、私はまだまだご主人様の焼いたすこーんが食べたいにゃよ」 「こんな時までお腹を空かせてるなんて、莫迦みたい…」 「私はいつも通りにゃのにゃ、素直に喜ぶのにゃー!」 「ちょっと、頭撫でないでよ。それで機嫌を取ってるつもり?」 「ご主人さま震えてるのにゃ。だからこうして温めてあげるのにゃー」 「そんなので温かくなるわけないじゃない…」 「…ねぇ、どうして?」 (にゃんにゃん…) 「本当にもう会えないと思ってたのよ…」 (ニャシニャシニャシニャシ…) 「だって、あの時、あなたは…」  寝室に男たちが押し入って来た時、ネコメイドは直ぐに私を窓から逃がそうとした。次の瞬間、何発もの銃弾がネコメイドの体を突き抜けるのを見た。羽のように軽くなった体が、割れた硝子と一緒に暗い庭へ落ちていった。その光景が確かな現実だったことを証明するかのように、ネコメイドを抱きしめた両手には、固まりかけの血がべっとりとくっついていた。 「ほら、血だらけ…」 「大丈夫にゃ」 「嘘。そんなはずはないわ」 「本当にゃ」 「やめて。死んじゃうから」 「もう死んでるにゃん」  心臓が、止まったかと思った。 「にゃはは。ごめんにゃ。死んだけど。ほら今は生きてるにゃ。たぶんあと、3回くらいは大丈夫にゃよ」  私を撫でるあなたの手は確かに温かかった。 「あなた、本当は何なの?」 「私はご主人様のちょっとお茶目で可愛いメイドにゃん」 「…ふーん」 「昔話が聞きたいにゃら、後でいくらでもしてやるのにゃん」 「なら別に良いわ。そこまで興味ないもの」 「そう言うと思ったにゃ」 「さぁご主人様。お家に帰るのにゃ」  そう言ってあなたは立ち上がる。 「外にいた見張りは片付けたにゃ、後は走って逃げるだけにゃ」 「流石、こういうことは手際が良いわね…」  さぁ、帰りましょう。そう無邪気に答えられたら、どれだけ幸せだっただろう。 「でも、あなただけで行って頂戴」  あの日、目を曇らせないと決めたのだ。悲しいことにも、そして、嬉しいことにも。 「私はここから逃げないって決めたから」  私はもう、か弱い少女では無いのだから。 「にゃ、にゃんでにゃー!?」  その間の抜けた顔を見られただけでも、私は十分幸せだ。 「これは、命令よ」 「ば、馬鹿にゃのにゃー!ご主人さまが我儘でひねくれ者で面倒くさい女にゃのは重々承知だにゃー!でもここまでお馬鹿とは思わにゃかったのにゃ。優先順位だにゃ。面倒にゃことは後から考えればいいのにゃ。逃げれば勝ちにゃ。さっさと立つのにゃ。ここから逃げるのにゃ!」 「莫迦はなのはあなた。逃げても勝ちなんかじゃないわ」 「少しは頭を使いなさい。私をここに攫った人達は誰だかわかる?私には声や体格に覚えが有るのだけど」 「そんにゃの匂いでわかるにゃ。ご主人様の炭鉱の奴らだにゃ」 「そうよ。彼ら一体どういう手段を使うつもりかは知らないけど。たぶん、私からあの炭鉱の権利を手に入れようとしているのだと思うの」 「恩を知らにゃい奴らだにゃ。ご主人様はにゃんも悪い事はやってにやいにゃ」 「私みたいな小娘に雇われてるのが気に食わないんじゃない?それか奪えるものは奪っとけって精神なのかもね。ある意味合理的だわ」 「裏切り者はみにゃ殺しにゃ!」 「待って待って。確かに裏切りはしたけど、何世代も私達の家を支え続けてきてくれた人たちよ。それにほら、私はこの通り無事、何もされてないわ」 「いきにゃり銃をぶっぱにゃすようにゃ連中だにゃ!」  見慣れた木綿のエプロンは赤黒く染まっていた。 「そうね…」 「でも、私はこのとおり生かされてる」 「それで、私わかったの。今までだって、結局生かされてただけなんだって」 「私ね。自分は何でも出来ると思ってた。お金だってあるし、頭も良いし、顔だってそこそこ可愛いとは思うわ。せっかく何でも揃っているのですもの、そんな私は思うままに、自由に生きるべきで、そんな私を見て、誰もが自由に生きることに憧れてくれれば、この世界は今よりもちょっとだけ良くなる。そう信じてたの」 「でも、性格だけは悪いんだにゃん…」 「そうね。だからこうして間違えちゃった。炭鉱の人たちだけじゃない、屋敷に彼らが押し入った時、他にも使用人はいたはずだけど、あなた以外は誰も動かなかったの」 「たぶん、誰にとっても私はただの、我儘な小娘だったのよ」 「だから、ここで逃げても私達に帰る家はないわ」 「このままここに残ってどうするつもり何だにゃ?」 「どうもしないわ。だって逆らえないもの。きっとあの中の誰かと結婚させられて、農場も炭鉱もお屋敷もみんな持って行かれて、あとは左団扇のお気楽生活と洒落込むわ」 「ご主人様はそれで良いのかにゃ?」 「良いわけ無いでしょ。でも、人間ってそういうものよ。誰かに生かされて、それに縛られていきてくものなの。でも、それって少し安心よね」 「そんにゃのダメにゃ。私知ってるにゃ。初めて会った時、ご主人さまは誰にも支配されたくにゃいっていってたにゃ!だから体もめちゃくちゃ鍛えてたのにゃ!」 「本当の自由が良いってにゃいてたにゃ!街がにゃつかしいっていってたにゃ!まだ、チョコレートも見に行ってにゃいのにゃ。春ににゃったらお師匠様も来る約束なのにゃ!」 「やめてよ!…結局私も籠の中でピーピー鳴いてる鳥と変わらなかったの。ただその籠がちょっと大きかっただけ。だから勘違いしちゃった。自分だけは自由に飛べるんだって、本当はたまたま恵まれてただけなのにね」 「ご主人さまは籠の鳥にゃんかじゃにゃいのにゃ。確かに籠の中には住んでたけど、ずっとずっとずっと飛び立つ練習をしてたのにゃ」 「今のその籠は壊れたのにゃ。飛び出すにゃら今にゃのにゃ。立ち上がって、ここから逃げて、自分の足で自由ににゃるのにゃ。怖いにゃら私が居るにゃ。どこまでもずっと一緒にゃ!」 「にゃーにゃー煩いわね。このわからず屋!」 「じゃあ、これを見なさいよ」  少し血の着いた白い寝間着のスカートを捲くる。私の両足は膝から下が不格好に折れ曲がり紫色に腫れ上がっている。できればあなたに、こんな姿は見せたくなかったのだけど。 「折られちゃった」 「不覚ね。あなたが窓から落ちたのを見て動揺したら、両足一気に潰されたわ」 「これじゃあ、腕力で勝てないからって、色んな足技を覚えた甲斐がないわね」 「ひ、ひどいにゃ…」  あなたの金色の両目が真ん丸になって、粒の大きな涙が溢れる。そんな顔を見るのは初めてなので、これを見せたことは正解だったかもしれない。そしてあなたは跪くと、私の傷ついた両足を舐めはじめた。ザラザラとした舌の感触が少し骨に響くけど、最後にあなたのしおらしい顔が見れて、良かった。私もせめてその頭を撫でるくらいのことはしなきゃね。 「わかるでしょ。もう歩けないかもしれない」 「いくらあなたでも、私を担いで逃げ続けることはできないわ」 「それに奴らの一人が言っていたの。あなたのことを魔女だって。もし生き返ったら銀の弾丸で撃ち殺して火炙りにするんだって」 「あなたが魔女かどうかはどうでもいいわ。でもきっと三回以上死んじゃうから」  最後に、一番言いたくなったことを言わなきゃ。まずは、私の足を舐めるあなたを払いのける。なんてひどい顔をしているのだろう。銃で撃たれても平気なのだから、もっとしっかりしてほしい。 「行きなさい!」 「前から変なメイドだと思ってたけど。今日わかったわ。きっとあなたは、本当に自由な生き物なのね!」 「だから、私にこだわる必要なんて無い!」 「あなたはどこまでも自由に生きて。今度は私があなたに憧れて生きていくから」 「嫌だにゃ…」 「駄目。これがあなたの主人からの最後の命令よ」 「嫌にゃ!」 「じゃあ、あなたはクビ!!」 「嫌にゃーーー!!!!」  あ、死んだ。そう思った。あなたの左右で少し色の違う瞳孔は縦に裂け、私は何か沢山の黒いものに包まれた。そのまま息ができなくなり、やがて意識を失った。  それから、どれくらいの時間が経ったのだろう。頬に冷たい風を感じて目を覚ますと、あたりは一面の雲の海になっていた。ああ、やっぱり死んだんだ。もうちょっと寝ていよう。そう思って目を閉じると、今自分がとても懐かしい匂いに包まれているのがわかる。 「起きたにゃら、寝るにゃよ」 「ああ、嫌だ。私はこいつのせいで死んだのだ。別にそのまま生きていても良いことは無かっただろうけど。こいつに殺られたというのは、プライドが許さない。足さえ無事ならボコボコにしてあげたのに」 「考えてることが声にでてるにゃよ」 「何ですって?」  迂闊にも目を開けてしまった。下半分は一面の雲海、上半分は全天の星空、その向こうでは三日月が見たこともないような大きさで輝いている。そんな中で、私を支えるものは、膝裏と背中に周されたネコメイドの細い腕だけだ。ここで豆知識を一つ、私は重度の高所恐怖症なのだ。 「ヒ、ヒィ~~~!!!!◎△$♪×¥●&%#?!」 「あ、こら、暴れるにゃにゃ!」 「無理無理無理無理無理無理無理無理無理!!降ろして!!」 「降ろすとこにゃんてにゃいにゃ!捕まってれば大丈夫にゃのにゃ」 「お願い!絶対離さないで!」 「痛い!!痛いにゃ!力が強いのにゃ!」  ひと仕切り奥歯をガタガタ震わせていると、冷静さが戻ってきた。 「あなた、飛べたの?」 「うにゃあ!突然冷静ににゃるにゃにゃ」 「そりゃ羽があれば飛べるのにゃ、当たり前のことだにゃ」  ネコメイドの言う通り、彼女の背中では、黒い羽毛に包まれた一組の大きな翼が羽ばたいていた。 「あなた!猫じゃなかったの?!」 「い、いや、ね、ねこだにゃー」 「猫に羽なんて生えてないでしょ!」 「は、生えたものはしかたにゃいのにゃ。長生きすると結構みんにゃ生えるのにゃ」 「スフィンクス!!」 「違うにゃ!!あんにゃ気持ちの悪い人面猫と一緒にしなにゃいでほしいのにゃ」 「スフィンクスに失礼よ!」 「スフィンクス、ごめんにゃのにゃ。せめて天使と言ってほしいのにゃ」 「でも、あなたの羽は真っ黒じゃない」 「…ううん、違うわね。夜空に透き通るような紺色でとっても綺麗。羽ばたく度に月明かりが反射してまるで小さな星が入ってるみたいね」 「照れるにゃあ…」  そういってネコメイドは頬を赤らめた。私も顔が少し熱くなるのを感じたが、頬を撫でる夜風の冷たさが少し心地よく感じるだけだった。 「それで、黒い羽の天使さんは私を何地獄に連れていくつもりなのかしら?」 「とりあえず、どこかきれいにゃ森地獄にゃ。まずはそこで休んで足をにゃおすのにゃ」  ネコメイドに舐め回された私の両足は、よだれと涙でベトベトになってはいたけれども、不思議と腫れも痛みも引いていた。 「ねぇ、どうしてこんなに私を助けてくれるの?」 「昔お父上に約束させられたにゃ。魔法の約束にゃ。絶対守らにゃいといけにゃいのにゃ」 「ふーん、つまんない」 「でもさっきクビににゃった時に契約は切れたにゃ。この翼がその証にゃ。今の私は本当に自由だにゃ」 「じゃあ、なおさら、私なんて置いていけばよかったのに」 「ほっとけにゃいのにゃ。」 「なにそれ?」 「ご主人さまと私は、違うけど同じにゃのにゃ」 「私は猫じゃないわよ」 「にゃははは、ご主人様は立派にゃ猫にゃよ」  そう言うと、金色の瞳は少し寂しげに遠くを見た。 「猫は自由に生きたいものにゃ」 「自由に生きたくて、自由ににゃるためにずっと生きてたにゃ」 「だから、にゃんでもできるにゃ。にゃんにもこわくにゃいにゃ」 「でも、たまに怖くにゃるにゃ、にゃんでも良いから自由にゃんじゃにゃいかって」 「にゃんにもにゃいから自由にゃんじゃにゃいかって…」 「でも、ご主人様は違うにゃ、にゃんでももってるのに自由ににゃりたがったにゃ」 「だからきっと自由ってすっごくいいもんにゃんだにゃー」 「当たり前じゃない」 「自由は良いものよ」 「…でも莫迦ね。一人じゃダメに決まってるじゃない」 「そうにゃ。だから、わざわざご主人様に付いて行って、暗くて狭いアパルトメントに閉じ込められても。毎日、にゃーと鳴いてやるんだにゃ」  にゃー、と満面の笑顔であなたは笑った。いつしか雲の海は途切れ、眼下には青く静まり返った森と湖が現れた。少しずつ近づいてくる大地と、少しずつ朱色に染まり初めた空が、この空中旅行の終わりを告げ始めていた。だから 「私の目を見なさい!」 「にゃにゃ?」  視線が揃う。何度見てもその瞳はずるい。私のはいったいどう見えているのだろう。 「いや、あの、その、こういうとき、なんて言うのが良いのか私全然知らないのだけど」 「自分で言っといて目をそらすにゃよ!にゃんにゃのにゃ?」 「あー、そのだからえっと、うーん、なんて言えばいいのかな、うーん」 「そろそろ降りるにゃ。後で聞くにゃ」 「待って!」  つい強引に、その顔をこちらに向けさせる。 「あなたのこと、とても気に入ったわ。特別に未来永劫私のメイドにしてあげる」 やってしまった。金色の瞳も意地悪そうに輝いた、 「知らんにゃ。猫は自由だにゃ」  とだけ言って、あなたは前を向く。着地地点を定めたみたいだ。木々の先端がどんどん近づいてくる。その合間の少し開けた場所に木組みの建物の屋根が見えた。どうやら、今日の宿はそこらしい。着地に備えて私は全身に力をこめる。すると、あろうことか貴方は空中でぐるりと大きく宙返りをした。  空も大地も溶け合って、上も下もわからない。全面の夜空の中、幾つもの星と三日月に囲まれて宙に浮かぶ。そんな私にあなたが微笑みかけると、私はその左右で少し色の違う金色の瞳の秘密に気づく、右の目は月の金、左の目は星の白金、夜の翼に輝くその光に、ずっと照らしていてほしいと願った。 「猫は自由だにゃ」 「だから私はご主人様が良いにゃ」 「ずっと、側にいるにゃ」  そうして私達は静かな森に降り立った。 (おわり)

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